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アルカエの日々のこと

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archaeの由来はピンクモダマ(1/2)

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ピンクモダマ。ピンクといっても色々。




『ピンクモダマ』と呼ばれる豆(種子)があります。
正式な名前ではなくて、ピンク色した(実際には茶から紅色がほとんど)モダマという意味で、木の実をコレクションする人などから俗にそう呼ばれています。

モダマとは、一般に別のグループのマメ科植物を指しますが、浜辺に漂着する大きな豆などは総じてモダマ(藻玉)と呼んだりもします。

この『ピンクモダマ』、マメの仲間のDiocleaというグループの一種であることはある程度言えるようですが、正体は不明。
僕には多方面に先生がいますが、豆の先生も「なんだろね。」というばかりでわからないそうです。

日本では、主に南西諸島の海岸に漂着した種子が見つかります。
種はあんなに綺麗なのに植物体自体は謎。日本に元々生えている植物ではないのです。
おそらく東南アジアからポリネシア方面にかけてどこかに自生地があるのでしょう。

川に落ちた種が海に流れ出て、黒潮などに乗って海を漂い、冬の北風や台風などで日本の海岸に漂着します。
海流散布という、植物が分布域を広げるための戦略、とも言われています。

とても綺麗な色をした豆で、特に太陽光下では息を呑むような紅色をしています。
『砂浜の宝石』とはよく言ったものです。(僕が勝手に心の中で呼んでます)

豆の先生は煙草に火をつけて続けました。「研究者間でも種子と植物体が結びついていない。花を見せたらわかるかもね。」
植物の同定(名前を調べる事)には花の姿が決め手となるものも少なくありません。いつか蘭の先生も言っていたことでした。

それからというもの、僕はこの『ピンクモダマ』の栽培に夢中になりました。

花を咲かせ、正体を突き止めたかったというのも大きな理由ですが、何よりこの宝石を好きなだけ欲しかった。

以来、いくつかの失敗を繰り返し、『ピンクモダマ』も4代目を迎えました。
4代目の成長は素晴らしく、開花も夢ではない、そう思えてきました。

台風や冬の冷雨にも耐え、毛深い茎と葉っぱはむしろやんちゃで、コンクリートの天井でよじる蔓の先は生命力にあふれていて、なんというか、愛おしかった。

本当に花が咲くかもしれない。

花は意外と地味だったりして。

『ピンクモダマ』がいっぱいなって、見たこともない綺麗なものもあって。この植物がどこのなにかもわかるかもしれない。そして、これからやる数ある発芽実験の株の中でも、ひときわ大きく、古く、やさしい木になってほしい。

そんな妄想がピークに達した頃、僕はこの木に『アルカエ』と名づけました。
ラテン語で『始源の・古い』といった意味があります。



しかし。


結局は失敗に終わりました。

原因は、農薬死でした。

アザミウマという昆虫が葉っぱをダメにするので、とある農薬を使いました。
用量がよくわからないから、マメ科植物の適用例を基に相当に薄く使ったけど、アルカエは芯から死んでしまいました。

僕には想像が足りなかったようでした。

きっとどこかの深い森の中に生えているから、ぐんぐん伸びて林冠に届くまでは強い日光は必要としない?
これは、たぶんそう。
小さいうちはちょっとした風ですぐ葉が根元から折れてしまうけど、風のそんなに吹かない林内で発芽するから?
これもたぶんそう。
室内の高温にめっぽう弱くて、晒されるとすぐ葉っぱが変色して落ちてしまうのは?
そして、農薬を薄めに使っても死んでしまうのは?

それは、野生ではありあえない状況だったから。

今回の農薬の処方はアルカエにとって毒でしかありませんでした。

光をめざして全力で駆けている子供は、生きることに夢中で。
ススキで切ったほっぺの傷などどうでもいいのだ。
アザミウマなんて、ほっとけばよかった。(ウィルスの媒介自体は怖いようです。)

僕の妄想は甘かった。

天井でよじる蔓の先は、開かない扉の前で困惑する子供のように。それを開けてやるような。

生きる力を最大限発揮させる、活力で阻害要因を予防する。
そこをまず優先させるべきだったと思いました。


今飼っているみつばち達を見ていても、そのことをよく思い出します。

大事になんかしなくても、生きることに関して人よりずっと実直です。
その点、負けている気がするから、僕はしばしば「こいつら」と呼びます。「この子」だなんて、まだ呼べません。

それと、人にとってとても役に立つ外来種とも言えそうな彼ら。
人と生き物と環境と相互に見合って、この地球に生きる意味などを妄想するなら、格好のヒントを与えてくれそうな気がします。

蜂にも感謝するし、蜂からも感謝されるような養蜂を目指していきます。
そもそも、飼う・飼われるだけの関係ではなく、もっと深く相利の関係で結ばれている気がします。


アルカエの持つ『始源の・古い』といった意味。

相反するようですが、全く未知で新しいことは、始めてしまえばそれはその時点で『始原の・古い』の始まりでもあると思います。
今は古の始まりでもあり。

太古の遺跡や巨木は、<約束の跡>を事実として現世に晒しているように思えます。
遺跡の造り主はもうこの世にはいない。彼らの夢は潰えた。
だけれど、遺されたものたちは語ります。

約束は叶わなかったが信じて生きたと。

巨木は今なお生きている。
どんな空気を吸って、何の匂いと音をその幹に刻み込んできたのか。指先をあて、目を閉じてみる。

未来のことは見えません。
その時々の行動がつもりに積もって、辛うじて今という形で見えてくる。
約束は、叶うか叶わないかではなく信じることが大事なのか。
遺跡となったり巨木となったり。
彼らは、ただひたむきに自らを突き動かす何かを信じて生きたに過ぎない。

古きものたちの語りは、不約束で素晴らしい未来に向かう中にあって、胸が痛いくらい確かで、優しい。
だから、また前を向いて歩ける。

そしてこの今も古に続く真っ只中。

自分のルーツとなるすべての<古>に、親愛と畏れと感謝をしたい。
それと同じを、生きていられているこの<今>にもしたい。
古いお墓に土足で上がって、どうにか網で採れたハナムグリをお墓の主にも見せてあげたい。

そういった想いも込めて。



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こっそり、僕だけが呼んでいたその名前を、4代目を失った時、妻に話したら、「いいね。」と言ってくれました。
その上、これから活動をする際の名前にしようとも。

いいね!

それが、僕たちが活動している名前がarchae-アルカエ-となった由来です。
by archae88 | 2012-06-16 01:47 | ●私たちのこと | Comments(0)
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